| 神話の国、出雲から懐かしいお菓子、安全なお菓子をお届けします。 | ||||||
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| (有)西村八良商店・西八製菓(有) 島根県大原郡木次町里方865-6 TEL:0854-42-0209 FAX:0854-42-2486 mail:dagasiya@nisihachi.com |
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| 島根県は本州の西、日本海側にあります 旧出雲・石見・隠岐の3地域で構成されております 出雲地方には出雲大社をはじめ多くの神社があり、日本神話に由来する土地です。 最近は大量の銅剣・銅鐸が発見され(荒神谷、加茂岩倉遺跡)神話と現実が交錯する土地なのです。 石見地方は豊かな自然が残る土地です。 特に益田市には《柿本人麻呂》由来の名所が沢山あります。 日本海にある隠岐島は後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流になった地で、当時の都の文化をと離島独特の文化がミックスされた独自の文化が作られています。 島根県の特産と言えば しじみ・松葉蟹・ぼたん・トビウオ・薬用人参・石州瓦、等など |
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出雲神話で欠かすことの出来ない存在と言えば「スサノオノミコト」と「ヤマタノオロチ」です。この八本杉は両者の戦いの古戦場であると言われております。 古事記に載っているヤマタノオロチ退治の物語よると、一つの体に八つの頭と八つの尾を持つ大蛇、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトはその八つの蛇頭をこの地に埋めてその上に八本の杉を植えて封印したとあります。 その言い伝えからここの杉は八本杉と呼ばれ現在も奉られています。 |
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この辺りは出雲風土記にも「漆仁の川辺に薬湯あり」と記されている古よりの温泉があります。ヤマタノオロチ伝説が数多くある場所にある温泉が「木次町健康温泉センターおろち湯ったり館」です。 木の香漂う木風呂、オロチをイメージした石風呂、その他に圧注浴、寝湯、気泡浴、庭園に囲まれた屋上露天風呂、遠赤ハーブサウナ、温泉プールなどゆったりリラックスできる健康増進スポットです。 浴場の他にも健康遊歩道、売店、食堂、休憩室も完備されています。 入浴料金:一般・500円 児童(4歳〜小学生)・250円 開館時間:AM10:00〜PM9:00 休館日:毎週水曜日 1月1日 |
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箸のオブジェ湯ったり館の玄関には巨大な箸のオブジェが設置されております。 なぜ箸なのか?と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。 古事記によれば、高天原を追放された「スサノオノミコト」が斐伊川に立ち人を探していると川の上流より箸が流れてきたそうです。 スサノオノミコトは上流に人が居るのを確信して川に沿って歩いていくと老夫婦と出会ったそうです。 その老夫婦こそ稲田姫の両親であり、例のヤマタノオロチ退治のお話へと続いていくのです。 「一本の箸が縁で壮大な物語が始まる」その故事にならって人と人の出会いをイメージとしたモチーフとして箸のオブジェを設置しているのです。 |
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木次町オリジナル商品をはじめ、地元で取れた四季折々の新鮮な野菜や果物の販売が大好評を博しております。周りの景色を見ながらお食事が出来るスペースも確保されております。 24時間営業の売店が完備されております。 駐車場施設:大型8台 小型53台 身障者用2台 情報休憩室:道路情報装置 地域情報装置 音声情報装置 TVモニター トイレ:男子用 小−6器・大2器、女子−8器 多目的−1器 ![]() |
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斐伊川に架かるひときわ目を引く木次大橋。夜にはライトアップされ幻想的な趣をかもし出します。 木次町の日本さくら名所百選にも選ばれたサクラトンネルの入り口に位置しており、木次のシンボルともなっております。 夏の花火大会では特等席に早変わりする場所でもあります。 |
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JR木次線の名前にもなっている木次駅です。駅前にはあのサクラのトンネルがあり、雲南観光の基点として便利です。 周囲には温泉や多目的ホール「チェリヴァホール」も有ります。 木次線にはトロッコ列車と呼ばれる全国的に見てもかなり珍しい列車が走っております。トロッコ列車は列車マニアのみならず、多くの方に愛されております、是非一度ご乗車されることをお勧めいたします。 そして木次線の名物と言えば出雲坂根駅にあるスイッチバックでしょう。ここのスイッチバックは2回の進路変更を行うことから三段スイッチバックと言われています。 なぜこの様になっているかと言うと、鉄道が一気に上がっていくことができないような地形の標高の差を解消するために考えられた仕組みで、ジグザグに線路をひいて標高をの高い場所をのぼって行くものなのです。 出雲坂根駅は延命水と呼ばれる水が有る事でも有名です、是非一度行って見られてはいかがでしょうか。 |
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木次町「斐伊川堤防桜並木」の桜は日本さくら名所100選にも選ばれている中国地方随一の桜の名所です。約2Kmにも及ぶ桜並木は最盛期にはさくらのトンネルとなり絶景を演出します。 3月の下旬から4月中旬には「きすき桜まつり」がもよおされ、ぼんぼりの点灯や桜のライトアップが行われます。 ライトアップされた夜桜はまた趣があり、花火大会や多彩なイベントなども、この時期に催されます。 |
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木次町にある斐伊神社は祭神として須佐之男尊・稲田比売命・伊都之尾羽張命を奉じております。由緒は孝昭天皇5年に創立と言うことですから、考昭天皇元年は紀元前475年らしいので、今から2470年も昔に作られた神社と言うことになります。 その後、天平時代(710〜784年)に、この地に二社在ったものを一社に統合し現在に至るらしい。 もともとは「樋社」と呼ばれていたそうだが、地名に基づき「斐伊神社」と改名される。 中世より明治初年まで地方九ヶ村の総氏社としてあがめられていたそうである。 |
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1996年10月14日に島根県加茂町大字岩倉南ヶ廻にて出土する。農道工事中丘陵斜面より発見された銅鐸の数は滋賀県大岩山遺跡の24個を上回る国内最多の39個が確認された。 この遺跡より出土した銅鐸は弥生時代中期(約2000年前)に鋳造・使用されていたものと考えられている。 特徴として大きな銅鐸の中に小さな銅鐸を入れた状態、「入れ子状態」で発見されたことである。 同じ鋳型で作成されたと思われる「兄弟銅鐸」が全国各地に分布していることや、動物や昆虫、人面をかたどった絵付の銅鐸が出土していることも特徴的である。 近隣の「荒神谷遺跡」と共通の特徴を持つ「吊り手に]印のある」銅鐸も発見されていることから、弥生時代の出雲圏の社会的交流を考える際に第一級の資料と呼べるでしょう。 (参考資料:加茂町教育委員会作成資料) (右の遺跡現場写真は町が作成した銅鐸発見時の現場レプリカです、遺跡に行っても本物の銅鐸は見られません) |
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この古墳は神社の敷地内にある古墳でこの辺りは斐伊川中流域であり、出雲の古墳密集地帯から外れている。そのため後期古墳は多いのだが前期の古墳はこの地域では極めて少ない。 昭和47年の河川改修工事に伴い発掘調査された結果、この古墳は典型的な前期古墳で、しかも大量の鉄製品を伴い、副葬品の中に全国で2枚目の発見となる「景初3年銘の三角縁神獣鏡」が有った為に全国的にも貴重な古墳であることが判明した。 ここで発見された「三角縁神獣鏡」は中国の「魏志倭人伝」によれば邪馬台国の女王卑弥呼は景初3年(西暦239年)に魏王より銅鏡100枚を貰ったと記されており、この1枚はその時の鏡であった可能性が高い。 その他として大刀、剣、鉾鉄製農機具など鉄製品が多量に副葬されていることは、この古墳の被埋葬者を考えるうえで重要であろう。 この古墳は初期大和朝廷の成立と古墳文化の拡大に於いて重要な意味を持っていると考えられる。大量の鉄器や卑弥呼が持っていたとされる鏡の入手を如何にして果たしたのか?この古墳は出雲の古墳文化形成を考えるのみならず、広く日本の古代国家ががどの様に成立して行ったかにも関わる重要な古墳なのである。(参考資料:加茂町教育委員会発行資料) |
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